東京高等裁判所 昭和32年(ネ)475号 判決
よつてこの解約申入が正当の事由を有するかどうかについて判断する。
まず、被控訴人側の事情について観るに、証拠を綜合すれば、「被控訴人は美容師で、もと葛飾区本田立石町五四四番地所在大木アパートの四畳半に居住して或る美容院に勤務していたが、昭和三〇年七月訴外岡野延吉と美容院共同経営契約を締結し、岡野が美容院の店舗とこれに要する機械器具等を提供し、被控訴人は美容師としての技術を提供し且つ技術者の募集と自己及び従業員の住家の提供に責任を持つこととし、昭和三〇年一〇月被控訴人名義で美容院経営の許可を受け、被控訴人肩書場所に在る岡野延吉所有の家屋において、磯丸美容院という名称で、昭和三〇年一二月一七日美容院を開業した。被控訴人は自己の住宅に使用する目的で、訴控人の居住していた本件家屋を、岡野延吉の仲介で買い入れ、昭和三〇年七月四日岡野と被控訴人とが控訴人方に赴いて本件家屋の明渡を求めたが、その承諾を得られなかつたため、被訴控人は右磯丸美容院の建物の二畳の部屋に小供と二人で居住している。しかし、右建物は僅か建坪九坪余で、美容院の店舗の外、二畳と二畳半の部屋があるに過ぎず、しかも二畳半の部屋は美容に使用する資材機械等の置場となつており、被控訴人の居住する二畳は従業員休憩室に充てられるべきものであるのに、これに使用することができないため、従業員を雇い入れることもできず、美容院の経営にも差し支え、岡野からは右部屋の明渡を求められている」ことが認められる。これに対し、控訴人側の事情としては、証拠を綜合すれば、「控訴人は本件家屋には昭和二〇年七月から賃借居住して来たもので、同人の一人息子が戦死し、次いで同人の夫が昭和二七年に死亡してからは、単身で本件家屋に居住しているが、最近養女を貰い受けることに話がまとまり近く控訴人と本件家屋に同居することになつていること、また控訴人の妹で大田区田園調布に居住している訴外井本きみ子が昭和二九年怪我をして寝ており、同人の夫も心臓喘息を患つているため、控訴人はその看病のため一カ月のうち一〇日もしくは一五日位妹のところに外泊することがあり、その間隣家の矢沢守三方に留守番を依頼しているが、右看病が終り次第、控訴人は本件家屋(六畳、三畳、二畳)に養女とずつと居住する意向であり、しかも控訴人は六三歳の老齢で職業とてなく、他に移転先もない」事実を認めることができる。
以上認定の事実によれば、被控訴人が自ら本件家屋を使用する必要のあることは、これを認めるに難くはないけれども、これを控訴人の事情に比し、且被控訴人が控訴人の本件家屋に居住していることを知つてこれを買い受けたものであることの事情に照らし、いまだ以て、被控訴人が控訴人に対し、本件賃貸借の解約申入をなすについて正当の事由あるものとは解することができない。
(角村 菊池 吉田豊)